夜も明るい昼にひとしい。
うわぁああああ!!!!レイヴnnnnnン!!!てゆーかしゅぎたしゅぎたしゅぎたハァハァ(オチケツ)
主従!!!主従ktkr!!!
6日には4巻が届くかな!!!楽しみwwはよくつづきみたいみたいww
けるぴぃもすきだけどれいヴんの忠実っぷりにこころ奪われてます、・・・けるぴさ、いいんだけど、出てきた瞬間噴き出したよ(酷)すいません、ァビス見たときも同じように吹きました。ほんとすいません、そこはかとなく笑えるんです。失礼ですよね、いや、これ愛情表現なんです、きっとww
どちらさんかの嫁の人がさー、最初全く気付かなんだ!!!ああいう爽やっか初めて聞いたからな。たぶん。記憶にある中では。
うちの姉のご命令により、ネットでDVDを購入いたしまして。今んとこ初回限定を手に入れることができています。今後は・・・わかんねww
観ててくすぐったいアニメはひさびさですね。てかキラッキラしすぎ(笑)
今、伯/爵と妖精は原作小説16、7巻まで?読んでないですが、うちの姉がエド/ガーにやられてしまっていますね。僕もキザで甘い台詞を吐く人はすごい好きなんで、エド/ガーはとても魅力的ですね!!!でも、エド/ガーに転んでたまるかぁあああ(?)
で、れいヴん君ですwwwぐわぁあ、アニメってこれだから!!抱きしめる必要はおありですか、マイ・ロード!!!(爆)
思わずにゃぁあああ!!!とか言った自分滅びろ。
で、けるぴぃです。いいよ!!!エド/ガーは狙ってくっさい台詞を吐くけど、けるぴぃの素っぽいところがいいと思う。さらっと甘々な台詞言うところがいい!!ww素敵!!!吹くけどな!!!(ォィ)
そして次は漫画の感想。
友達から借りた漫画ですよまたwww借り過ぎ自分・・・有難う御座います!!!
WJのスケ・ダンですね・・・おお・・・なんつー泣かせギャグ。KRFの話が僕的に一番ぐっときました。ギャグ漫画読んでこんな鳥肌たったの初めてですね。
ほんとに偶然にも、ぴろうずのカバーアルバムをこれまた友達から借りていたため、その偶然に感謝しながら聞いて読んで。しかもそのカバーがェルレという神チョイス!!!www
ふぁにーばにー!!!!!なんてかっこいいんだよボッスン!!!あれほんとにボッスン!!??一曲があっという間だった!!!すごい鳥肌!!!感動!!!!同じ話を2度目読んでも鳥肌www
君の夢が~♪
ああ、素敵!!!!今までストレンジカメレオンを延々と聞いていたんですが、ファニーバニーの方が好きになっちゃいました。名曲万歳!!!!
りょふこちゃんもお借りしてきたんですが!!!!惇兄ィ!!!!(無双の影響で夏候惇の呼び名が固定)惇にぃ!!!いろいろ何かたりないよとんにぃ!!!!(笑)
そうそうのかっこいいこと!!!と、ヘタレ!!!wwwこの2人のやりとり面白すぎですwww典偉かーわーうぃーうぃーwww典偉ww典偉ww一生懸命なのに報われないとこがいい!!かわいい!!!
明日出かけたいんだけど、日曜は混むから嫌だな。
シンセードーで薫ちゃんのアルバム探したらもう無かった・・・誰?買って行ったの?是非ともお友達になりましょうや・・・
今日はルッス姐さんの誕生日だよwwおめでとう、ヴァリァーの紅一点wwww
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まさかの第三弾。
相互理解の拒絶編、クライマックス(笑)
僕の記録みたいなもんなんで、鬱になりたい人が読むとよいよ!ww
さてと、その夜。
ミサやら説教やらあった日の帰り。
Yさん(大学生の韓国友人)のご友人で、御仁とも青森で面識のある人と落ち合い、その流れで帰りの電車も一緒でした。
もうお仕事もされていてとても大人な男性でした。紳士!!みたいな。
その人が電車の中で、自分の昔の話をしてくれました。英語でww簡単だったので意味は判りましたが。
その方は最初、キリスト教なんて信じていなかったそうです。そんなもの信じる価値がないものだと。
若かったころは、親や友人とイザコザがあって、自殺を試みたこともあったそうです。
でも、そんな自分を救ってくれたのがキリスト教だったと。
イエスは、全てを愛してくださる。赦してくださる。自分を見ていてくださる。試練は、それを乗り越えるために与えられる。神に、感謝を。
僕はその話を聞いて涙が止まらなかった。また。周りにたくさん人がいたっていうのに、ぼろぼろ、ぼろぼろ、泣いていた。
何故か。理由は、判らないから。
判らなかった。英語が判らないんじゃない。僕にはキリスト教が理解しかねた。そして、それを伝えないまま話を聞いていた自分が酷く惨めで、卑怯で、情けなかった。
それに、一番絶望したことは、それが「判りたい」という意志に基づかない「判らない」だったことだ。
僕のキリスト教への選択が「拒絶」だったことに、僕が一番がっかりした。踏み込めないし、踏み込みたくない。
自分はもっと、「異質」なものに理解を持てるやつだと思ってた。もっと寛大で、もっと柔軟で、もっと適応力のあるやつだ、って思ってた。でもそれはただの理想と勘違いにしか過ぎなくて。
自分の小ささを思い知ったと思う。彼の話を、判らない、判らない、と思って聞いていたんだから。心の中でひたすらごめんなさいを繰り返してた。判りたいとも思わなくて、ごめんなさい。
仏教にそれほど心をそそいでもおらず、ほぼ無信教の僕に、彼は自分の信じるものと、世界を変えたものを、教えてくれた。でも、それに理解を示すことが、僕にはできない。僕には判らない。彼の人生を変えたものに、僕には一点の理解もできない立ち位置にいる。
そしてその立ち位置から、動きたいとも思わなかった。
彼からは本を一冊貰った。英語の小説だった。それは、キリストはほんとうに存在するのか、キリストとは誰なのか、を追求した話だった。読んでない、未だ。これから先読む意思ができるのかも判らない。聖書をちっとも読んでない僕に、背景が判るのかな。キリスト教がなんたるかが全く判らない僕に、読み切れるのかな。というか、別に読みたくない。読みたくないよ。
じゃあ読まなきゃいい。それで済まされる問題か。彼が自分を変えたもの、その手がかりとして渡してくれたものを読まないで放置するか。とんだ恩知らずのクソ野郎だな。
もし全ての答えを出してくれるなら。
信じるって何?
拒絶編、終わり。
これで、僕の旅行も終わり。